msaym.site


[ 戻る }


・詳しいコンセプト

 私が興味のあることは、
鑑賞者が見ようとしているモノと鑑賞者自身の距離の取り方、
モノがどういった存在であるのか把握しようとする目まぐるしい視点の移動、
虚像に対して懸命に空間をつかもうとする焦点の変化です。

 そういった無意識に行われる鑑賞行動を誘導するように意識して形や色彩や配置をしています。く
全体を見渡し、およそのフォルムをつかんだ後、細部へと誘われたと思えば、
全く予想していないモチーフが見えてくると驚き、
それが生活の一部を表したシーンであるとホッとして皆微笑んでくれるのです。

 作品は一見とても優しいように思えるのですが、制作にはたくさんの要素をを埋め込んでいます。

 植物のペインティングはアクリル絵の具を使用しています。モチーフを見えづらくするため、上からジンクホワイトで発色を抑え込むと、控えめな主張で筆致が残ります。以前は油彩でしたが、進行度の遅さと、匂いの強さでスムーズな制作を行えないため、使用を断念しています。
 ペインティングは自ら撮影した写真をモチーフとして使用しています。写真をモチーフとするのは、客観的な目線に変換されるので、大きさのブレや時間の経過などを排除できるからです。また資料や他人の写真を使用しないのは、私が実際にその場で切り取ったワンカットをオリジナルとしたいからです。写真撮影は私にとっては大切なスケッチであり、同時にエスキースの作成なのです。
 2005年頃より植物をメインのチーフとして取り扱っていますが、他のどんなモチーフよりも私の筆致がフィットする感覚が気持ち良く、また植物の茎や葉、花弁、実、腐食などの形態や色彩は見る角度によっても無数にバリエーションが存在するため、そこからどのような絵にしていくのかという好奇心を駆り立てられるのです。撮影する場所は特に決めていません。自宅の庭や、散歩している時の近所家のプランターから、公園の茂み、神社の脇、山へ登った時、展示会へ行ったり、食事会、買い物などの行き道や帰り道、各地の植物園の温室、カフェの庭など。外にいるときは常に植物に目を配っています。

 私は普段から紙にペンでドローイングをしています。ドローイングのモチーフとなっているのは植物はもちろんですが、その他には鳥に人の生活をさせたシーンをたいていは3コマ漫画のように構成することで、止まっている平面上で視点を動かすことでアニメーションさせています。鳥は幼少のころから長野のスキー旅行の帰りに両親に買ってもらったフクロウのぬいぐるみに起因しています。現在は文鳥を飼っていることからも鳥と人の生活をミックスさせる面白さを鳥獣人物戯画からの日本人特有のアイデアを引き継いでいます。写実性からは解き放たれ、素早く手を動かして描くので、デッサンもキャラクターとしてもありえないへんてこな線になっていますが、かつて仙厓の描いた禅画のユニークな線に魅了され、または熊谷守一の線による「下手も絵のうち」という価値観のもと、線そのものと、線どうしの間のとりかたというものを大切にしています。また禅の世界を表す○△□といった単純な図形を立体にし、そこにあたかも空間が存在するかのような不思議な浮遊感を出そうとしています。

 私のドローイングはこういった日本の線に影響されているのですが、その線をペインティングの上に重ねようと考えたのです。しかし筆では紙にペンで描いた時と同じような質感がでませんでしたので、かつてパウル・クレーが線を描く時に油彩転写技法を使用していたのを知り、これだと思いました。油彩転写というのは紙にチューブから出した油絵の具を塗りつけ、画面に貼り付けて、上からペンでなぞってから紙をはがすと、なぞった部分が画面に圧着されて線が残るという技法なのです。油彩なので時間をかけて乾かし残った大切な強固な線となるのです。現欧米文化が根付いた私たちの現在の暮らしを日本古来のアイデアである鳥獣人物戯画のように書き、日本的な線を洋画の技法で描き出すという文化的にはあべこべな面白い展開になりました。
 私はロックを聞くのが好きなので、最近は気になった歌詞や曲のタイトルを描きいれたりもしています。ロックでか語られるかっこいい文字の世界も私のフィルターを通ると線の表情によって簡単に和やかになってしまうのです。これもあべこべですね。メタルやロックを聞くのが意外だと思われることが私は多いです。また逆もありますね。強面なのにお酒はのめなかったり、イケメンなのに実際は根暗なオタクだったり。外見上の判断では性格や内面まではまったく判断できないのです。なにごとにおいても「無意識の鑑賞」ではなかなか真実は見えませんね。

 最近は変形の作品を作成しています。これは絵は長方形ないしは正方形であるという定義を排除したほうがかえって絵に引き寄せられるのではないかという理由ではじめました。その形も、単に菱形や台形ではなく、フリーハンドでまっすぐな切り口でさえないという異形にすることで、それでも絵であると判断してくれるみなさんの価値観があたりまえにこの世界には溢れているし、許されているという、とても寛容になってきているという証でもあるのでしょう。

2020.12.14




このサイトに掲載さてれいる画像の全ての著作権は山内雅裕に帰属します。無断使用、転載等の一切を禁止します。

Copyrigth (C) Masahiro Yamauchi All Rigths Reserved.